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2019.06.04  木古内町 自然 観光施設

咸臨丸の眠るサラキ岬

木古内町観光協会より 木古内町観光協会より

木古内町観光協会さんのTOPページにもドンと出ているこの船。その名は、、、

咸臨丸(かんりんまる)

 

1857年、咸臨丸は艦隊としてオランダで作られ太平洋を渡り切り日本へと着きました。

 

1860年に、日米修好通商条約の批准書交換の為、かの有名な「勝海舟」、皆大好き「福沢諭吉」、「ジョン万次郎」など100余名が渡米します。正史はアメリカの艦船に乗りましたが、その随伴艦としてこの咸臨丸は太平洋を渡り、サンフランシスコへ。

そして同年、無事帰還。幕府の船として初めて太平洋を往復した船として有名です。

 

後には、それまでの酷使がたたり、蒸気機関を撤去され帆船となり、輸送船の役割を担うようになりました。

 

1869年、戊辰戦争の際には新政府軍の輸送船としての役割を担います。

戊辰戦争が幕を閉じたのち、明治政府に接収された後は北海道開拓使の輸送船となりました。

 

1871年、咸臨丸は、城を没収され北海道への移住を決意した片倉邦憲(通称:片倉小十郎)の家臣らを乗せ仙台を出航します。

箱館経由で小樽へ向かう途中、木古内町サラキ岬沖で暴風雨により遭難します。

現地(泉沢)の人々の懸命な救助により、乗船者は難を逃れました。

しかし、咸臨丸はその数日後に破船、沈没しました。

 

1984年には、サラキ岬沖で、錨(いかり)が発見され、22年の時を経て、

2006年、錨は咸臨丸のものであったと発表されました。

現在の「咸臨丸の眠るサラキ岬」

サラキ岬チューリップ

今も海の底で眠る咸臨丸を再現した模型があります。

周りには、色とりどりのチューリップが咲いています。

何故チューリップか?

その理由は、当時のオランダ北海道人会会長より

「咸臨丸終焉の地に、誕生の地であるオランダの国花を植えてほしい」と、

チューリップの球根が贈られてきたことをきっかけに、チューリップ花園が出来ました。

春には約80種5万球のチューリップが咸臨丸を讃えるように咲き誇っています。

サラキ岬チューリップ